HISTORY -SINCE1929-

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HISTORY -SINCE1929-

1929年から変わらない、想いがある。

ジュエリーかまたは、あなたの「想い」を形にすることに専念し、心をこめて世界でたった一つの指輪を創り出します。

HISTORY-沿革-

創業当時の写真

生粋の職人。それが、かまたの原点です。

ジュエリーかまたは1929年、「かまた時計店」として産声をあげた。
頑固一徹だった初代社長・鎌田静は、生粋の職人肌な人間であった。
“お客さまの声を聞き、お客さまによろこんでもうらために、職人の腕をあげる”
販売よりも修理をメインに、地域のお客さまとつながる。
脈々と受け継がれる職人気質は、創業のころから始まっていた。


“時計の隅々までわかる”職人の知識を武器に、時計をはじめ、
家電や精密機械、ジュエリーなど、さまざまな修理の注文を受けるようになる。
お客さまの声を直接お聞きして不満とご要望を聞き修理をしていると、
お客さまの求めているものが手に取るようにわかるようになっていった。
最初はメーカー元に出していたジュエリーの修理に不満を抱くお客さまに、
もっとよろこんでいただきたい一心で、独学でジュエリー修理を習得するに至った。
“持てるすべての技術を、お客さまのよろこぶ顔のために発揮したい”思いからであった。

ジュエリーかまたは1929年、「かまた時計店」として産声をあげた。頑固一徹だった初代社長・鎌田静は、生粋の職人肌な人間であった。 “お客さまの声を聞き、お客さまによろこんでもうらために、職人の腕をあげる”販売よりも修理をメインに、地域のお客さまとつながる。 脈々と受け継がれる職人気質は、創業のころから始まっていた。


“時計の隅々までわかる”職人の知識を武器に、時計をはじめ、家電や精密機械、ジュエリーなど、さまざまな修理の注文を受けるようになる。お客さまの声を直接お聞きして不満とご要望を聞き修理をしていると、お客さまの求めているものが手に取るようにわかるようになっていった。最初はメーカー元に出していたジュエリーの修理に不満を抱くお客さまに、 もっとよろこんでいただきたい一心で、独学でジュエリー修理を習得するに至った。“持てるすべての技術を、お客さまのよろこぶ顔のために発揮したい”思いからであった。

創業当時の写真

創業当時の写真

創業当時の写真

創業当時の写真

「かまた時計店」からの卒業 そして、新生「ジュエリーかまた」へ。

転機が訪れたのは、東京に修行に出ていた3代目の現社長、
鎌田精一が帰郷した時だった。
この頃から、時代を見越した大改革を始める。
その手始めはなんと、「かまた時計店」の閉店セール。
それまで抱えていた時計の在庫を、すべて放出した。
“時計の精度を究めたからこそ、ジュエリーのきめ細やかさに向き合える”
お客さまから信頼され修理が増えていたジュエリーの道一本に絞る決断を下した。
そして当時使っていたローマ字表記のロゴ「kAmAtA」を
わかってもらいづらいと判断し、読みやすい平仮名にチェンジ。
こうして、新生「ジュエリーかまた」は誕生した。


次に精一は、店舗の前に「マリッジリングのオーダーメイド」という看板を掲げる。
“創れる腕があるのだからお届けしたい、世界にたったひとつのリングを”
こう舵を切ったことで、ジュエリーかまたは現在の経営指針を確立していく。
全国でも珍しいオーダーメイドのマリッジリングは、口コミでじわじわ人気が出始め、
さらにマスコミに取り上げられたことで一気にブレイク。
街中だけでなく、わざわざ弘前とは離れた県内外からも、
評判を聞いて駆けつけてくださるお客さまが次第に増えていく。


こうした遠方から足をお運びいただくお客さまの声にも、きめ細やかにお応えしたい。
2001年、ジュエリーかまたは秋田への出店を決める。県内から、県外へ。
と同時に、お客さまのお話を聞いて店頭スタッフ全員が
ジュエリーのスケッチを描けるよう、徹底指導を行うようになる。
“お客さまの思いをカタチにしたい、よろこんでいただけるサービスをお届けしたい”
創業以来築いてきた「かまたの信念」は、いつの時代も変わらない。
弘前から始まり秋田、岩手、宮城、青森、北海道…すべての店舗のすべてのスタッフに、
今日も、“職人の魂”から始まった、かまたスピリットが受け継がれていく。

転機が訪れたのは、東京に修行に出ていた3代目の現社長、鎌田精一が帰郷した時だった。この頃から、時代を見越した大改革を始める。その手始めはなんと、「かまた時計店」の閉店セール。それまで抱えていた時計の在庫を、すべて放出した。“時計の精度を究めたからこそ、ジュエリーのきめ細やかさに向き合える”お客さまから信頼され修理が増えていたジュエリーの道一本に絞る決断を下した。そして当時使っていたローマ字表記のロゴ「kAmAtA」をわかってもらいづらいと判断し、読みやすい平仮名にチェンジ。こうして、新生「ジュエリーかまた」は誕生した。


次に精一は、店舗の前に「マリッジリングのオーダーメイド」という看板を掲げる。“創れる腕があるのだからお届けしたい、世界にたったひとつのリングを”
こう舵を切ったことで、ジュエリーかまたは現在の経営指針を確立していく。全国でも珍しいオーダーメイドのマリッジリングは、口コミでじわじわ人気が出始め、
さらにマスコミに取り上げられたことで一気にブレイク。街中だけでなく、わざわざ弘前とは離れた県内外からも、評判を聞いて駆けつけてくださるお客さまが次第に増えていく。


こうした遠方から足をお運びいただくお客さまの声にも、きめ細やかにお応えしたい。2001年、ジュエリーかまたは秋田への出店を決める。県内から、県外へ。と同時に、お客さまのお話を聞いて店頭スタッフ全員が ジュエリーのスケッチを描けるよう、徹底指導を行うようになる。“お客さまの思いをカタチにしたい、よろこんでいただけるサービスをお届けしたい”創業以来築いてきた「かまたの信念」は、いつの時代も変わらない。弘前から始まり秋田、岩手、宮城、青森、北海道…すべての店舗のすべてのスタッフに、今日も、“職人の魂”から始まった、かまたスピリットが受け継がれていく。

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