オーダーメイドの結婚指輪・婚約指輪なら【ジュエリーかまた】

  1. >
  2. 店舗一覧 >
  3. >
  4. >

銀座スタッフが教える銀座にゆかりがある有名人

公開日:


銀座三越や松屋銀座など昔ながらの高級デパートや、東急プラザ銀座のような新しい商業施設が立ち並ぶ「ショッピング街」として知られる銀座。歌舞伎座やヤマハホールなどの文化施設も有名です。そんな商業的・文化的に恵まれた土地・銀座で生まれ、活躍している(いた)有名人を10人ご紹介します。

目次
  1. 世界で活躍する演出家・宮本亜門
  2. 芸能界大御所の1人・泉ピン子
  3. 実力派俳優の1人・柄本明
  4. 元フジのアナウンサー・中村江里子
  5. 下町育ちのタレント・なぎら健壱
  6. クイズ番組で有名な仏文学者・篠沢秀夫
  7. テレビ番組プロデューサー・居作昌果
  8. 日活三人娘の1人・和泉雅子
  9. 折口信夫に師事した国文学者・池田弥三郎
  10. 流行語を多く生んだ昭和の漫談家・トニー谷

世界で活躍する演出家・宮本亜門

宮本亜門(1958年1月4日)は銀座出身の演出家。オペラや歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカルなど、幅広いジャンルの作品を手がけてきました。出生名は「宮本亮次」でしたが、演出家を目指すために改名したのだとか。実家は銀座7丁目にある老舗の喫茶店「須川」(現「茶房 絵李花」)で、新橋演舞場から来るお客さんで常に賑わっているそうです。幼少時代には新橋演舞場に頻繁に出入りし、歌舞伎座や日劇、日比谷の映画館にもよく通っていたといいます。1978年にはミュージカル「シーソー」でダンサーとして、1987年にはオリジナルミュージカル「アイ・ガット・マーマン」で演出家としてデビュー。その後さまざまな経験を積み、現在では世界を舞台に活躍しています。2017年11月には東京オリンピック・パラリンピックに向けて、文化の祭典「文化オリンピアードナイト」を開催しました。

芸能界大御所の1人・泉ピン子

泉ピン子(1947年9月11日)は東京都中央区出身の女優。NHK連続テレビ小説「おしん」やテレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」に出演して一躍有名になりました。そんな泉ピン子さんの実家は銀座・和光の時計台裏の小料理屋で、父親は浪曲師の江口鉱三郎。母親は泉ピン子さんが幼い頃に亡くなったそうですが、再婚した浪曲師の山門お染に育てられ、歌好きの少女として育ったそうです。本名は武本 小夜(たけもと さよ)。始めは三門 マリ子(みかど まりこ)という芸名で歌謡漫談家としてデビューしましたが、紆余曲折があり「泉ピン子」になったのだそうです。2017年からはpi企画株式会社に所属して活動を続けています。

実力派俳優の1人・柄本明

柄本明(1948年11月3日)は銀座(旧・木挽町)出身の俳優・コメディアン。実家が歌舞伎座の裏手にあり、演劇好きの両親や親戚に囲まれて育ったそうです。その影響で幼少時代は映画館に頻繁に訪れ、高校卒業後は一度は一般企業に就職したものの、20歳のときに見た芝居に衝撃を受けて俳優を目指すことになったといいます。シリアスな演技だけでなくコメディもできる俳優として、「セーラー服と機関銃」「座頭市」「悪人」などのさまざまな映画にも出演しました。妻は女優の角替和枝(つのがえ かずえ)で、息子の柄本佑(えもと たすく)と柄本時生(えもと ときお)は2人とも俳優として活躍しているのだそうです。

元フジのアナウンサー・中村江里子

中村江里子(1969年3月11日)は東京都出身のフリーアナウンサー・タレント。結婚後の名前はエリコ・バルト(Eriko Barthes)です。実家は銀座4丁目にある老舗の楽器店「銀座十字屋」で、楽器販売のほか、ハープやフルートのレッスンも行っています。中村江里子さんは立教大学経済学部を卒業し、1991年にはフジテレビにアナウンサーとして入社。「カルトQ」や「どうーなってるの?!」などさまざまな番組に出演し、1999年にはフジテレビを退社しました。2000年にはフランスの思想家/文芸批評家のロラン・バルトの縁戚で、実業家のシャルル・エドゥアール・バルトと結婚。現在は1男2女の母であり、パリに住みながら化粧品ブランドの経営もしているそうです。

下町育ちのタレント・なぎら健壱

なぎら健壱(1952年4月16日)は銀座東(旧・木挽町)生まれのフォークシンガー・俳優・タレント・漫画家。カメラ、自転車、落語、がらくた収集など多趣味で、コンサートやライブ活動のほかにエッセイ執筆や写真集の出版なども行い幅広いジャンルで活動しています。著書も多く出版しており、「下町小僧」「ぼくらは下町探検隊」など下町をテーマにしたものが多数。この功績が評価されて、2015年には浅草公会堂正面のスターの広場に手形とサインが加えられました。吉祥寺MANDA-LA2では30年以上前から歌手活動をしており、現在もライブを行っているそうです。

クイズ番組で有名な仏文学者・篠沢秀夫

篠沢秀夫(1933年6月6日~2017年10月26日)は銀座出身のフランス文学者・学習院大学名誉教授。テレビ番組「クイズダービー」では正解が多いことを「下品ですね」と表現するなど独特の回答で人気となり、レギュラー解答者として活躍していました。学者としてはロラン・バルトやモーリス・バレスの研究者として知られ、「神話作用」「精霊の息吹く丘」など数多くの翻訳を手がけています。著書は「文体学の基礎」「愛国心の探求」など。2009年には筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、闘病しながら執筆活動や講演を続けていましたが、2017年10月に肺炎で帰らぬ人となりました。

テレビ番組プロデューサー・居作昌果

居作昌果(1934年3月31日~2005年4月10日)は銀座出身のテレビ番組プロデューサー・実業家。「8時だョ! 全員集合」「クイズダービー」「ザ・チャンス!」などのヒット番組を生んだ人物として知られています。居作さんは1956年に大学卒業後、ラジオ東京(のちのTBS)に入社。番組制作の経験を積み、バラエティ番組の演出課に移り、以降はバラエティ番組を主に制作するようになりました。1979年には谷隼人が主演のコメディ映画「ピーマン80」を公開しています。これは自らが監督を務めた作品でした。19898年にはテレビ番組制作プロダクション・タイクスを設立し、社長に就任。2005年に肺がんによって71歳で亡くなりました。

日活三人娘の1人・和泉雅子

和泉雅子(1947年7月31日)は銀座出身の女優、冒険家、僧侶。先祖には戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した竹中半兵衛がいます。実家は銀座・三原橋の寿司割烹店「和泉屋」で、銀座で生まれ育ったといいます。10歳のときに劇団の子役となり、その後日活のプロデューサーにスカウトされて日活に入社。吉永小百合、松原智恵子と並ぶ人気女優として「日活三人娘」と称されていました。1966年には日活の映画で共演することが多かった俳優・山内賢とデュエットを組み、ザ・ベンチャーズの「二人の銀座」をカバーしています。この曲の累計売上は100万枚以上。大ヒットとなり、1967年には映画「二人の銀座」が制作され、公開に至りました。その後も女優業を続けた和泉さんですが、テレビ番組のリポータも行ううちに冒険家になる夢を抱き、1985年には日本女性初の北極点到達という偉業を成し遂げています。

折口信夫に師事した国文学者・池田弥三郎

池田弥三郎(1914年12月21日~1982年7月5日)は銀座出身の国文学者、民俗学者。実家は江戸時代末期から続く由緒ある銀座の天ぷら屋「天金」で、池田弥三郎は次男として誕生しました。明治時代には東京で一番人気の天ぷら屋として知られており、徳川家最後の将軍・徳川慶喜もひいきにしていました。特に徳川慶喜は小エビや貝柱の入ったかき揚げを好んで食べたのだとか。「天金」は1864年(元治元年)創業で、初めの店舗は現在の銀座三越の北側あたりに建てられました。しかし、1872年(明治5年)の銀座大火で店が焼失。1918年には現在の銀座5丁目あたりに店を移しますが、1923年(大正12年)の関東大震災でまた焼失してしまいます。1930年(昭和5年)には再び店を構え、空襲で店が再度焼失しますが、その後銀座6丁目に店をオープンしました。銀座で長い間天ぷらを提供し続けた「天金」ですが、1970年にその歴史に幕を閉じました。

池田弥三郎は1931年に慶應義塾大学に入学。入学時は経済学部でしたが、その後国文科に転科し、代表的な民俗学者・国文学者である折口信夫から国文学を学びました。1957年からはクイズバラエティ番組にも出演し、タレント教授として人気を博したそうです。「文学と民俗学」「日本人の芸能」など著書は多数で、1980年にはその功績が讃えられ芸術選奨を受賞しました。

流行語を多く生んだ昭和の漫談家・トニー谷

トニー谷(1917年10月14日~1987年7月16日)は銀座出身の舞台芸人、歌手。つり上がった黒ぶち眼鏡に口ひげ、白い背広がトレードマークです。英語交じりの「トニングリッシュ」でそろばん片手に司会芸を行う様が大衆に受け、一躍有名人になりました。「さいざんす」「家庭の事情」など数々の流行語を生み、三島由紀夫の「恋の都」や村上春樹の小説・映画「トニー滝谷」、赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」などさまざまな作品のモデルにもなっています。歌手としても有名で、宮城まり子とデュエットを組んだ「さいざんす・マンボ」には「ごらん、銀座の柳なびくよ」と歌詞の中に銀座という単語が登場する箇所も。1955年には長男誘拐事件が起き、報道の影響で人気が下り坂になった時期もありましたが、その後テレビの司会者として芸能界に復帰を果たしました。1987年には肝臓がんのため死去しています。

まとめ

昭和時代から現在まで、銀座にゆかりのある有名人をご紹介しました。商業の中心地・銀座の生まれというだけあって、実家が銀座の老舗店舗という方も多くいらっしゃいました。銀座を訪れる際は、ご紹介した有名人のことを思い出してみると街歩きがより楽しくなるかもしれません。


店舗情報


関連記事

  1. >
  2. >
  3. >
  4. >